MMTの話をする前に-CH 0
- 2021年5月23日
- 読了時間: 12分
MMT(Modern Monetary Theory: 現代貨幣理論)を耳にしたことがあるだろうか?
ほとんどの人は聞いたことがなく、
聞いたことがあってもあまり気にかけなかったかもしれない
もしくはトンデモない理論と紹介されたかもしれない
そこで、僕が正しくゼロからわかりやすく説明しようと思う。
なぜならMMTを知れば、お金に詳しくなり、お金持ちに近づけると思うからだ。
かという、僕も経済学者でも何でもないので、完全に正しく理解できているとは到底思わない。したがってCH1(チャプター 1)以降ではある本に沿って行きたいと思う。
かといって、経済学部をでて、大学院もでて、経済の分野で博士課程を修了させた人なら完全に理解しているとも考えない。
なぜなら、このMMTは経済学の教科書とは異なるアプローチでマクロ経済(大きな規模の話、政府、国民全体等 反意語:ミクロ経済)を論じるからだ。
ちなみに、MMT自体を経済学部で履修するのかと疑問に思い、ラリアの経済学部でちゃんと授業についていき、先生の話をきているだろう方に聞いたことがあるが、
答えはYESだったが、そこまで大きくは扱わないらしい。
それもそのはず、MMTは主流派(≠正しい)の経済学者の方々からは端の端、異の異端とされ、嫌われているからだ。
では、なぜ僕がMMTにここまで固執して、ブログまで書き始めたかというと、
そもそも、彼らがいうようにMMTは異端でも何でもなく、
日本が経済的に復活、すなわち、他の先進国並みの経済成長をするためには、
MMTの財政、主に政府(≠国)の負債に捉え方への国民一人一人のコペルニクス的大転回が
欠かせないのではないかと思うからである。
ここまで読んで、経済学の小難し話は経済学者でしてくれ、
自分なんかがマクロ経済学を論じれるはずなどなかろうと思わないでほしい。
何故なら、ノーベル賞を獲ったマクロ経済学者たちも近年のマクロ経済学を批判しているのである。
2008年にノーベル経済学賞を獲得したポール・クルーグマン氏もこう述べている
much of the past 30 years of macroeconomics was “spectacularly useless at best, and positively harmful at worst.”(エコノミストより引用
「ここ30年のマクロ経済学の大部分は”よく言って、華々しいほど役立たず、悪く言えば、害悪でしかない”」
そして、最も端的にそして、明快に近年のマクロ経済学の脆弱性を見事についたのは
エリザベス女王のマクロ経済学者に対するこの質問だろうう。
“Why did no one see it coming?” (itは2007年の経済危機のことである)
”なぜ誰もあの経済危機が来ると予測できなかったのかしら?”
そうなのだ、
あれほどの規模の経済危機をマクロ経済学者は予測できなかったのだ。
日本ではよく、餅は餅屋といわれるが、このまま経済は経済学者に任せっきりでいいのだろうか?
経済学と聞くと実生活と乖離した印象を受けるが、
僕たち生活と経済は密接に関係している。
このコロナ禍で見えたものの一つとして、政治と生活のつながりだと思う。
政府が10万円を給付すると決めれば、銀行口座に勝手に振り込まれた。
(日本のコロナ対策、経済対策は今度書くので、ここでは触れたいが、触れないでおく)
その、10万円という額も、他の支援も、この有事の時だけなく、
平時の経済政策もすべてマクロ経済学者の助言のもと決定していた。
しかし、当のマクロ経済学者を代表する方々がその誤りを認めているのは、
いかに異常なことか。
もし、正しいマクロ経済学の下で政策決定が行われていれば、
その政策の下で生きる僕たちはもっと豊かな生活を送れていたかもしれない。
もっと焼肉を友達と食べれたかもしれない、
もっと自由に勉強できたかもしれない、
もっと不安定に自分のやりたいことを追求できたかもしれない。
そして、
経済的困窮から、死を選ぶ他なかった人たちは
もっと生きれたかもしれない。
僕はその過ちをMMTが正しているのではないかと思う。
最も、僕にはMMTが間違いか正解かは分からず、正直、やってみないとわからないと思う。
これから、MMTが示す
現在日本国民の大部分が思い込んでいる常識とは根本的に異なる
考え方を紹介していこうと思うが、
あまりにも衝撃が強すぎて、拒絶してしまう恐れがあるので、CH1に入る前に
小話をして、MMTを受け入れ、自分の頭で考える土壌を作りたい。
心理学的な用語でいえば
”センメルヴェイス反射(Semmelweis reflex)”
といい、この背景を紹介したい
イグナッツ・フィリップ・ゼンメルワイス(Ignaz Philipp Semmelweis、1818.7.1生〜1865.8.13没)はハンガリー出身の医師で、「産褥熱は接触感染の病気であり、医療従事者に手の消毒を義務づけることでその発症率を激減させることができる」ことを証明して見せました。ゼンメルワイスがこのことを発見したのは1847年で、ウイーン産科病院の産婦人科部長だった時のことです。
医学者への道程
ゼンメルワイスは1818年7月1日、裕福なドイツ系商人の第5番目の子供として、ブダ(ブダペスト)の商業地区タバンに生まれました。子供の頃はブダにあるカトリックの学校に学び、17才の時にはペスト大学に入学。19才で卒業しました。そして1837年秋、法科大学に入るためにウイーンを訪れますが、そこで彼は医学に興味を持ち医科大学に進学したのです。
入学してから1年後に彼は帰国し、残りの勉強を地元の大学で行います(1839-1841)。そして1841年、再びウイーンに戻り、第二ウイーン医科大学に入学します。彼はこの時自らの出身校であるペスト大学の立ち遅れた状況を痛感しますが、この大学はその後、実験施設と医学を統合し、20世紀でもっとも重要な医学の拠点の一つとなりました。卒業後もウイーンに残り、2ヵ月の助産術講議を取り、マギスター(Magister)の学位を取得し、さらに外科技術の訓練を終えた後は、1844年10月から1846年2月の15ヵ月間、シュコダ教授のもとで診断法と統計学を学びました。その後、ウイーン総合病院第一産科クリニックの助手になり、そこで教育の仕事にも携わっています。
公衆衛生の重要性を発見
ゼンメルワイスが産褥熱の原因について調べ始めたのは、ウイーン総合病院にいる時でした。しかしそこでは、産褥熱は予防不可能な病気であると信じる上司の反対にあいました。1846年7月、ゼンメルワイスは、第一産科クリニックの名目上の医科長になりました。その頃、第一クリニックの産褥熱による死亡率は13.10%でした。しかし当時、第二産科クリニックの死亡率はわずか2.03%だったのです。どちらのクリニックも同じ病院に属し、同じ技術を用いていましたが、そこで働く医療従事者だけが若干違っていました。第一クリニックでは主に医学生の教育を行い、1839年に完成した第二クリニックでは助産婦の指導を行っていたのです。
彼に転機が訪れたのは1847年でした。親しくしていたKolletschkaが、死体解剖の授業中に過ってメスで指を切ってしまったことから感染症にかかり、死亡してしまったのです。彼の死体を解剖したところ、病気の原因は、産褥熱で死亡した女性患者と非常に似ていることがわかりました。そこで直ちに、死体による感染と産褥熱との関係を示唆し、両クリニックにおける死亡率の統計学的研究を始めたのです。その結果、彼が解剖室から出てきた医師や学生たちは、感染性の粒子を手に付着させたまま第一クリニックの患者を検診していることを突き止めました。ちなみに当時はまだ病原菌の存在は知られておらず、ゼンメルワイスは、まだ知られていない「死体粒子」が産褥熱を引き起こしていると考えたのです。そこで解剖室から検診に向かう医師たちに、さらし粉溶液で手を消毒することを義務づけ、それにより死亡率はそれまでの12.24%から2.38%へと激減し、第二クリニックとほぼ同様のレベルになったのです。
医学界の権威により否定
こうした輝かしい結果にもかかわらず、ゼンメルワイスは自らの研究成果をウイーン医学界に報告するのを拒み、また論文として発表することにも消極的でした。そこでヘブラがゼンメルワイスに代わって2本の論文を書きました。それを読んだ外国の医師やウイーン学派の一部の人間は、この発見に大いに感銘を受けたのですが、幅広い支持は受けられませんでした。その研究結果が、当時の医学界の主流派の意見と真っ向から対立していたからです。当時、病気は(他にも様々な奇妙な原因がありましたが)、体の中の「基礎体液」のバランスが崩れることによって起こると信じられていたのです。さらに、仮にゼンメルワイスの発見が真実だとしても、彼のアドバイスにあるように、妊婦を診断する前に毎回手を洗うことは、面倒過ぎると反論されました。また医師たちも自分たちが多くの死を引き起こしていることを認めようとしませんでした。それどころか彼らは、自分たちの職業はきわめて神聖であり、したがって手が汚れているということはあり得ないと主張していたのです。
1848年、ゼンメルワイスは消毒の範囲をさらに広げ、産婦に接触するすべての医療器具も消毒するよう命じました。その結果、産婦人科病棟から産褥熱はほぼ完全に撲滅されました。それを受けてシュコダは、その研究成果を調べるための公的な調査委員会の設立を計画しました。しかしながら、この提案は、大学側と政府機関との対立が原因で教育省によって拒否されてしまいます。以後、彼は保守的な政治勢力のもと失職し、1850年には自らの成功を発表しますが、突然ウィーンを去ってペスト(ブタベスト)に戻ってしまうのです。
ハンガリーに戻ったゼンメルワイスは、1851年にペストにあるSt. Rochus病院の産婦人科病棟に勤めます。手と医療器具を洗浄するという彼の消毒法によって、同病院の産褥熱による死亡率は0.85%にまで下がり、この考え方は瞬く間にハンガリー国内に広がりました。また、この頃ゼンメルワイスは結婚し、5人の子を持つ親になり、大規模な個人医療施設を建てました。1855年7月には、ペスト大学理論及び実践助産術学科長に任命され、1857年にはチューリッヒの産科学科長になる話もありましたが、彼はそれは断りました。
1861年、ゼンメルワイスは、自らの発見を「DieAetiologie,der Begriff und die Prophylaxis des Kindbettfiebers(産褥熱の病因、概念、及び予防法)」という本として上梓しました。しかし、国外での書評はどれも否定的なものばかりで、ゼンメルワイスはそうした批判に対し、1861年から1862年の公開書簡の中で、激しく反論しました。とくにドイツで開かれた医学系の学会では、彼の学説は講演者にことごとく否定されました。医学界の権威がゼンメルワイスの発見を認めなかったために、何千人もの若い妊婦が命を落としましたが、最終的には彼の学説の正しさは立証されました。このゼンメルワイスのケースは、権威主義的な学界により科学の発展が遅れた例として、現在も引用されています。
神経衰弱と死 1865年7月、ゼンメルワイスは神経衰弱と思われる症状に苦しんでいました。現代の歴史研究家の中には、これはアルツハイマー病または老人性痴呆だと言う人もいます。ゼンメルワイスは、親族や友人によって半ば強制的にウイーンに連れていかれた後、Niederostereichische Landesirrenanstalt in Wien Doblingという精神病院に入院し、2週間後に帰らぬ人となったのです。これまでの説では、ゼンメルワイスは、敗血症が原因で死亡したと信じられてきました。敗血症は、汚染された指が原因で発症する産褥熱とよく似た症状を示す病気です。しかし、「Journalof Medical Biography」誌に発表されたH.O.ランカスターの論文によると、これは事実ではありません。 “ゼンメルワイスに関してはこれまで数多くの伝記が書かれているが、1865年8月13日に彼がどのようにして死亡したかという点については、1979年、S. B. Nulandによって初めて明らかになった。精神状態が悪化してから数年後、ゼンメルワイスはウイーンにある精神病院に入れられた。そこで暴れ出した彼は、病院の職員による暴行を受ける。その時の傷がもとで2週間後に死亡したのだ。したがって死体解剖中に負った傷がもとで感染症にかかったというような、まるでギリシア悲劇のようなドラマチックな最期は、これで完全に否定されたわけである” ゼンメルワイスの死後、感染は病原菌によって起こることが発見されました。今では彼は、消毒法と院内感染予防のパイオニアとして認識されています。
(引用元https://www.bdj.co.jp/safety/articles/ignazzo/1f3pro00000sihs4.html)
なんとも不遇な人生だ
このストーリーからわかる通り、
”センメルヴェイス反射(Semmelweis reflex)”
とは、常識や通説に反する新しいい考え方を拒絶してしまうということだ。
コペルニクスもガリレオ・ガリレイにも同じ類の逸話があるが、
これらの話で共通することは、彼らの新説が正しいことがのちに証明されたという点と
彼らは、医学や科学の話である点だ。
医学や科学は比較的簡単に証明することができると思う。
地動説も地球上から判断するのは難しいかもしれないが、宇宙にいって見たらわかる。
この話を紹介した理由として、当然、MMTの話を聞いた時に、
”センメルヴェイス反射(Semmelweis reflex)”
を起こしてほしくないという気持ちもあるが、
同時に、この話とMMTで決定的に違うのは
経済学では証明するのがかなり難しいという点だ。
僕は実際にやってみないと本当に正かどうかはわからないと思う。
(幸か、不幸か、アメリカの大規模な財政出動はMMTと似たところがあるので、その動きで結論が出るかもしれない)
が、日本でそれが実現されることは自民党政権下(禍?)ではぼぼ考えられない。
したがって、あなたがMMTを理解しよと努めて、こっちのほうがシックリくる、論理的に筋が通っていると考えるなら、
MMTに理解を示し、そのアプローチを日本でも応用しようとしている政治家に票を投じることが大切なのだと思う。
自分の頭で考えて、自分で決める。
僕にはこの行為がとても民主主義らしく思える。
所詮、僕らにはそれくらいの事しかできないと考えるか、
民主主義の国だからこそ、そんなことまでできるのか!!
と考えるのは人それぞれだと思う。
本格的なMMTの話に入る前に
何だ、MMTは政治の話なんか、
政治なんて興味ねぇ
Youtube見てるほうが楽しい
と楽しいと思うかもしれず、ぼくもそう思うが、
MMTを提唱者の一人であるあるステファニー・ケルトン氏(彼女の本を以後用いる)
はMMTについてこう述べています。
”MMT is not a theory but an accurate description of how money without the gold standard works, and therefore it is not a question of adopting MMT.”
"MMTは理論などではなく、金本位制離脱以降の金(かね)の動きについての正確な描写である、つまりMMTは採用するかどうかの問題でない”
政治に関心はなくても、お金持ちにはなりたいひとが大多数だと思うが、
なりたいと思うだけだなっていればみんなお金持ちなわけで、
思いだけではなれない。
そして、多くの人はお金とは一体何なのかということについて深く考えたことがないのではないかと思う。
何にも知らずに、何も知ろうとせずにただ使ってきた、もしくは僕たちが使わされているのではないかとさえ近頃僕は思うのだが。
MMTはお金そのものについて説明してくれている。
MMTの話を聞けば必ずお金持ちになるとまでは言わないが、
近づくことができるのではないかとは思う。
前置きがかなり長くなってしまったが、
いよいよ本題(CH1)に入っていこう!
これは以前、MMTについて1000字でまとめたもの
全部のブログを読む暇はない人用
(英語なので注意)



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